てやんでえカメルーン〜青年海外協力隊の滞在記〜

青年海外協力隊2018年度3次隊。カメルーン派遣。コミュニティ開発。Les rapports du Cameroun.

経験が活きる

 

 

 

日中はかんかん照り(時々豪雨)の任地を歩き回り水分と体力を奪い取られ、夕方以降は晩御飯を作りドラクエに勤しむ。

 


そんな(ドラクエで)多忙な毎日を過ごしてたため、ブログを更新することをすっかり忘れていました。

 


ドラクエ8ほんと面白い。

 

 

 

なぜ任地を歩き回っているかというと、情報収集をするためです。

 


そしてなぜ情報収集をしているのかというと、これからの活動内容を自分で決めるためです。

 

 

 

そもそも青年海外協力隊員はみな一様に同じような活動を行うわけではなく、活動内容は様々な「職種」という分野(ジャンル)で大別されます。

 


小学校などに入って子供たちの教育をサポートする職種や、農業や医学の知識やスポーツを国・地域に広めることを主とする職種など多種多様です。

 


その各々の職種の下で、さらに一つ一つ、協力隊員を受け入れる各国各機関が要請している活動内容が個別にあり、それをベースにして活動を行なっていくという形。

 

 

 

自分の職種は「コミュニティ開発」という名前で、非常にざっくりと説明すると「地域住民の為になる活動」を行う職種といったところ。

 


地域住民にとっての生活上や仕事上の課題や有益になることを考え、それらの改善・向上を目指すための活動であれば、ある意味なんでもできるという自由度の高い職種です。(勿論、要請内容は各隊員で異なるため、具体的な活動内容が予め決められている人も多く居ます。)

 


しかし、発展途上国と呼ばれるような国においては、ローカルな地域である任地に関してのデータや情報が纏まっていなかったり正確でないこともあるため、任地に赴任したての隊員の活動はまず任地の情報収集から始まる、ということが往々にしてあるわけです。

 


今現在の自分がまさに情報収集の段階で、任地を歩き回っては住民と話をしたり、住民の職場(主に農地)について行ったりして情報を集めながら、どのような活動を行おうか考えています。

 


街に行って人と話し、次の行動のための情報収集。この工程はドラクエと似ていますね。RPG的。

 

 

 

情報収集のため日中にぶらぶらと町を歩き回っていると、大抵人が集まっている場所が見つかります。

 


何もない雑草地の上に長椅子2つをL字形に並べたような簡易的なスペースであることが多いですが、そこで住民たちは雑談をしたり議論を交わしたりしています。

 


そのような場所にはもれなく瓶ビールかマタンゴ(パームヤシのお酒)、ウィスキー("納豆についている醤油のプラパック"的なものに入って小分けされている)があります。

 


ドラクエにもマタンゴという敵キャラがいますね。

 


そしてそんな輪の中で会話を楽しみつつ情報収集を行うため、自分も日中からお酒を飲む(勧められる)こともしばしば。

 


いわゆる付き合い酒はどこの国でも共通なようです。

 


ただでさえ湿度もある炎天下の中、歩き回りお酒も飲んでいるので家に着く頃にはクタクタになっています。

 


そして晩御飯を作り、食べ、ドラクエを進める。

 


最近はそんなRPG三昧の日々です。

 

 

泥棒に入られる

 


本日、カメルーンにきて初めて物を盗られました。

 


バナナです。

 


キッチン部屋に置いてあったバナナを盗られました。1本。

 


朝確認した時点であったバナナは2本。

 


いつのまにか1本だけになってました。

 

 

本日キッチン部屋に入ってきた人(子供)、即ち容疑者は3人。

 


そのうち2人について、自分は1度も目を離してなかったので実質容疑者は1人。

 


その彼はいつも自分に「バナナあるの?ちょーだい」と言ってきていた子。

 


既に彼には何度もあげていましたが、バナナが残ってるのを確認するたびに要求してきます。たぶんあげ続けてたら際限なく欲しがってきたと思います。(ちなみに、アフリカは食べ物不足のイメージがあるかもしれませんが、カメルーンに関しては豊富に農作物がとれ、自給自足してる人が多いので贅沢品でない限り食に困ることはそこまで多くないのかなという印象です。あくまで主観ですが。)

 

 


彼には「もう沢山あげたでしょ?それにもし君にバナナをあげ続けたら、自分の食べる分がなくなっちゃうでしょ?」と言っていました。

 


しかしそれでも要求してきます。

 


なので彼をキッチンに入れないようにしていました。

 

 

 

ですが今日、流れでキッチンに入れてしまいましたが、一応彼を信じてみようということで基本的に目を離していました。

 


その間、やはり彼はバナナに近づいていました。

 


そして後でバナナを確認してみると、1つなくなっている。

 

 

 

そこで彼に「バナナがなくなってるけど知らない?」と聞くと「自分じゃない」との返答。

 


続けて「本当に知らないの?」と聞くと何も返事をしなくなります。

 


以前書いた通り、結局また子供は何も言わないまま時間だけが過ぎていきます。

 

 

 

その後、彼の兄弟たちがきて箒を片手に「正直に答えろ!」と強い語気で言い、ようやく彼は自分がやったと言いました。

 


正直なところ、十中八九彼の仕業と思いますが、強制されていうのではなく彼に自分の言葉で説明してほしかったなと思うので、なんとも微妙な後味。

 


万が一、彼が濡れ衣だったとしたら、自白を強要していたなんて可能性もありえますし、それは避けたい。(今回に限って言えばほぼ彼の仕業で間違いありませんが。)

 

 

 

子供達は「今、自分は怒られている」と感じた時点で黙ってしまうので、できるだけ自然に話を引き出したいなと思うのですが、なかなか難しい・・・

 


いずれにしても彼にはバナナ泥棒と嘘をついた廉で、暫くの間キッチンに入ってはいけないという厳罰に処します。

 

 

もちろん彼には暫くの間何もあげません。

 

 

ところでバナナ泥棒という響き、どこかで聞いたことあるようなと思ったら、キングクルールでした。

(スーパーファミコンの「スーパードンキーコング」というゲームで主人公ドンキーの持っているバナナを、キングクルール軍団にごっそり盗まれたことからストーリーが始まるというもの)

 

 

これから彼のことはクルールと呼びたいと思います。

ヒーホー考察&シノワ検知器

 

◾︎ヒーホー考察

 

 

青年海外協力隊員のSNSやブログを見ていると、その国の人たちから「中国人」と呼ばれる、という情報を結構な確率で聞きます。

 


協力隊の選考を受ける際に、カメルーンに派遣されていた人のブログを探し読んでいましたが、案の定「シノワ(フランス語で中国人という意味)」か「ヒーホー(ニーハオが訛ったもの。音の響きがもう既におちょくっている感。)」と言われいつもおちょくられるという情報が書いてありました。

 


いまや中国人は世界中に散らばっているので東アジア人を見たら中国人と思うのは仕方ないと思うのですが、なぜ彼らはいつもおちょくってくるのか?という疑問がありました。

 


よく言われるのは、中国人はあまり現地の人に好かれてないので、協力隊員は中国人と勘違いされ揶揄されているという理由です。

 


とはいえ、実は交流したいだけで呼びかけ方がわからないのかな?とか、きちんと説明して中国人じゃないと分かれば止むのかな?などとも思っていたので、現地に行ってから実際に確かめるしかないなーと。

 

 

 

そしてカメルーンに来て2ヶ月が経過し、首都で1ヶ月、任地で1ヶ月生活してみて、やはりシノワシノワと道を歩くたびに言われます。老若男女問わず。

 


ただ、今思い返すと首都は人が集まるような場所でない限りあまり言われないかもしれません。首都なのでまだ外国人慣れしている人が多いということなのか、或いは単に分別のつくような人が集まっているということなのか。まあ子供はそれなりに言ってきますが。

 


任地では住民のシノワ攻撃が1度外に出る度に必ず何度もあります。

 

 

 

ちなみにカメ人の外国人に対する呼びかけ方はいくつかあり、他には「ブラン(フランス語で白人の意)」「アミーゴ(なぜかスペイン語)」「モナミ(フランス語でMy friend)」「オゥオゥ!(輩の呼びかけ方は万国共通)」です。「シノワ」と「ヒーホー」はおそらくアジア人に対してのみですが、人と近づくたびにこれらの呼びかけが繰り出されます。

 

 

 

カメルーンでは黒人以外の外国人が珍しいため、そもそも目立つわけですが、彼らの自分を見る目はさながら初めてエイリアンを見たかのようで、「怪訝そう」という言葉がぴったり。ちょっとショック。

 


そして3秒くらいは視線を自分にロックして、ものすごい勢いで凝視してきます。自分が通り過ぎようもんなら「目が追いかけてくる絵」みたいな状態です。

 


そんな環境の中で生活しているわけですが、なぜ彼らはシノワシノワとひたすらに言ってくるのか。

 


全然わかりません。

 


仲良くなったカメ人何人かに率直に疑問をぶつけてみても、揃いも揃って「外国人は珍しいからねえ」といった程度の回答。

 

 

 

もちろん動機には個人差が当然あるのでしょうが、そもそもなぜ呼びかけるのか?

 


呼びかけに対して「Bonjour(こんにちは)」と返事をすると「Ça va ?(元気?)」と返してくれるような人は、自分とコミュニケーションがとりたくて声かけてくれたんだな、と思い嬉しくなります。

 


が、そのようなケースは比較的少数で、「シノワ!」の呼びかけに対し「Bonjour」とこちらが返事をすると、声かけてきた人は立ち止まり呆然と自分を見続け、「こいつ・・・喋るぞ!」といった驚きと怪訝さが混ざった表情をしてくるケースが多々あります。ならなぜ呼びかけた。

 


現地では「中国人はフランス語がわからない」という認識があるため、フランス語を喋るアジア人に驚いているのかなと思い、その後に「Ça va ?」とこちらが会話を仕掛けても、返事をしようという意志さえ感じさせず、ただただ奇怪なものを見る目でこちらを凝視し続けながら歩みを再開しだします。ならなぜ呼びかけた。

 

 

 

他のケースとしては、上記とは逆にとても親しみを込めて(非常に馴れ馴れしく)呼びかけてくる人たちもいます。大概そういう人は金銭や物品目当てです。次の一言目には「お金ちょうだい。物ちょうだい。」と言ってきます。基本的には無視するか、適当にあしらえば済む話ではあるものの、彼らは決してジョーク的に言っているわけではないと思います。8割ガチです。

 


カメルーンでは「外国人=お金持ち」という認識が蔓延しており、外国人がいたら何は無くともとりあえずタカっとこう精神が往々にしてあります。道徳ってほんと大事。

 


そして、外国人(アジア人だから?)を軽視していて、おちょくるためだけに呼びかけてくる人もたまにいます。これはもう端的に言って差別です。

 


とはいえ、こうは書きましたが決して全体論で言いたいわけではなく、「そういった振る舞いは失礼だ」と考えているカメルーン人も勿論います。なのでそのような人たちは自分の心のオアシスとなります。

 

 

◾︎シノワ検知器

 

 

そして子供達のケース。特にちびっこ。

 


彼らは遠巻きからでもシノワをめざとく発見します。もうほんとシノワ検知器としては超優秀。

 


そして遠くの時点から、シノワ・ヒーホー警報を発令します。(ヒーホー警報の語呂の爽快感たるや)

 


だいたい子供達は複数で集まって遊んでいることが多いので、警報が発令されるとさながらカエルの合唱を聞いているかの如く、こちらに向かって鳴り止まないシノワとヒーホー。たまに舌ったらずな「シニョワ!」が聞こえてきたりもします。

 

 

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↑こんな彼らも最初はシノワ検知器でした。

 

 


最初の頃は子供達はコミュニケーションがとりたいのかも、と思い「Bonjour」と返事してましたが、やはり変なものを見たかのようにフリーズして、自分が通り過ぎたあとにまた後ろからシノワ・ヒーホーと呼んでくるパターンが多かったです。一体どうした。

 


そんなことが毎日で、しかも子供達は本当にどこにでも沢山いてキリがないため、最近は無視することもちょこちょこあります。

 


こちらが返事をしないと彼らは取り憑かれたかのように声の限りシノワ!ヒーホー!と叫び続けます。一体何が彼らを駆り立てるのか。

 


自分が「日本人だよ」と説明してもそもそも日本を知らない子も多いし、「挨拶するならボンジュールにして」といっても結局状況は変わらず、後日にはまたヒーホーの嵐。アジア人を見るとヒーホーしか言えない呪いにでもかかっているのでしょうか。

 

 

ちなみに中国人に対して、良い印象を持ってないカメルーン人は確かに少なくないです。

 


カメ人からは「彼らは意地悪だ」というコメントをよく聞きます。具体的な意地悪エピソードを聞いたことはありませんが。

 


自分的にはカメルーンで出会う中国人たちはフレンドリーで、今のところ意地悪な要素は感じません。寧ろ友好的で好印象です。

 

 

それどころか、彼らの中華食材屋さんのおかげで醤油などの日本で使ってたような調味料も手に入るので、非常にありがたい。

 


中国人は基本的に中国人同士で団体行動しているために現地の人とあまり交流がなく(と思われる)、余計にイメージが先行してしまっているといった感じでしょうか。

 

 

わかりませんが。

 

 

 

なんにせよ、初めて見るエイリアンには優しくありたいと思う今日この頃です。

 

長靴騒動〜そして説教へ〜

 

 

◾︎失われた静寂 -comme d’habitude-

 

 

日が高く麗らかな陽気の中、例によって通気のためドアを開けながら家(というか部屋)でパソコン作業をしていると、これまた例によって我が部屋にドタドタと侵入してきた3人の子供たち。

 


彼らは両手に長靴を携え、堅い意思を秘めた様子でこちらを見据えている。

 


そして「長靴と一緒に写真撮って!」の一言を皮切りに部屋で騒ぎ暴れ回る彼らの出現により、10秒前までの静寂は既に遠い過去の幻となりました。

 


その落差たるや、まるでお寺で瞑想していたのに次の瞬間にはフランス革命真っ只中の現場に転送されてたって感じです。意味わからないですね。

 


そんな革命騒動を治めるためにも、ご要望通り撮影することに。

 


さながら燃える火に対処するため現場に消火器を持っていくかのような気分でカメラをスタンバイ。

 

 

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↑なぜ長靴?なんて質問は野暮というものです。

 

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↑3人の子供たちに遅れること少し、テクテクと部屋までやってきた一番末っ子のミシュー。「ちょっと、私もいるんですけどォ」と言わんばかりの表情。

 

 

◾︎騒動鎮圧と説教 -Je suis fatigué-

 

 

撮影していると子供達はテンションが上がり、騒動は激化。

 

 

そして、土足厳禁とわかっているにも関わらずゴザの上で長靴をバンバン叩き出したため、自分の熱い説教を食らうことに。騒動は無事鎮圧されました。

 


自分が怒っていると分かり、ゴザバンバンの主犯以外の子供はそそくさと退散。ここらへんの立ち居振る舞いはみんな非常にうまい。

 

 

 

自分に捕まったゴザバンバンの主犯には、なぜ怒られているのかをきちんと理解しているか確認したかったため、なぜやっちゃダメなのか?わかっているのになぜやったのか?を主犯に質問して、答えてもらおうという形式をとりました。

 


ところが主犯は全然喋らない。こちらが話しかけても下を向いて、時間がただ過ぎるのを待っているだけのように見受けられました。(子供が話し易いように、高圧的にならないよう話し方には注意したつもりです。)

 


30分ほど経過しても一向に喋ろうとしないため、「自分の言ってることを理解できた?もうやらない?」という、YES/NOで答えられる質問に切り替えました。

 


それでも一向に喋ろうとせず、結局トータルで1時間ほど経過したのち、わかったとの答えを得ました。

 


その後、ゴザバンバンマンは疲れたのかそのまま部屋で爆睡。

 

 

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↑この子は別の子ですが、だいたいこんな感じ。もう机と椅子以外に自分のスペースはありません。

 

 

このようなシチュエーションは以前も何回かありました。

 


その内の1回では別の子供が自分のキッチンで例によって遊び散らかしたため、説教しました。

 

 

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↑こんな状況。注意を何度もしているにも関わらず、騒いだり物を散らかしたりしたので説教の刑に処しました。

 


その時も子供に対し「なぜやっちゃダメなのか?なぜダメと分かってるのにやったのか?」の理由を述べてもらうように話をしましたが、やはり30分ほどうつむいたまま何も喋らないという時間が続きました。(結局この時も「もうやらない?」と質問したことで初めて返事を得ました。)

 

 

◾︎適切な教育とは?

 

 

このような結果が得られたことについて、自分の戒め方に問題があったのではないかと見直しをすることも勿論必要だと思います。

 


しかし、個人的にはある理由が要因の一つなのかなとなんとなーく考えています。(ここからは主観が特に多く入ります。)

 


それは大人の子供に対する怒り方。すなわち体罰です。

 


カメルーン着任後、カメルーン人のお宅でのホームステイや今の任地での生活などで、大人が子供に対して叱っている様子を目にする機会が多くあります。

 


そのほとんどが、大人が怒声とともに思い切り子供の体を叩いているという光景です。そして大人の気分が落ち着いたら怒声も叩くのも終了、といった具合。

 


その間、子供たちの中には本気で泣く子もいますが、泣き叫んでいるようで実はただ叫んでいるだけで叩かれ終わったらケロッとしている、という子もまあまあ見ます。(怒られ慣れている?)

 

 

 

 

体罰の是非については置いておきますが、このような光景を見てきて個人的に思うのは、体罰という風習によって子供達には「怒られても叩かれさえしたらそれで終わり」という考え方が染み付いてしまい、怒られている理由を正面切って考える機会が少ないのではないかな?ということです。

 

 

上記のエピソードの場合で言うと、最初自分が話をしている時、子供はそっぽを向いて自分の話を聞き流し、拘束が解かれるのをただ待っているだけの様子だったので、よそ見をせずに話をしてる相手の顔を見るように言いました。

同時に、子供が何も言わなかったのは、意見を言うと更に体罰を受ける経験から何も言わないのが吉と判断してるからなのかな?とも思いました。

 


子供達には自分の頭で考えるように習慣付けてほしいなと思うので、余計なお世話かもしれませんが、悪さをしたら都度説教を継続していきたいと思います。

 

 

 

ちなみにどういうわけか説教を受けた子供たちは、説教を受ける前よりも懐いてきた気がします。(多分ゴマすりではないと思います)

 


説教されたからといって敵意を向けてくるわけではなく、変にご機嫌取りをしてくるわけでもなく、自ら駆け寄ってきたりしてくるので(多分ゴマすりではないと思います)、こちらの意図を汲み取ってもらえたのかなと少し安心しました。

 

 

 

子育てをする人の気持ちがほんの少しわかってきたような気がします。カメルーンで。

 

 

これもまたコミュ開

 

 

 

以前の記事でキッチン部屋は風通しが悪く熱が篭りがちで暑い、と書きました。

 


これは居室部屋についても全く同じです。

(間取りについてはこちら→https://sat0220.hatenablog.jp/entry/2019/03/12/183807)

 


暑く湿度もあるバチェンガでコンクリートブロック固めただけの造り、窓は一つだけ、

お世辞にも通気性を考慮しているとは言えない家なので当然と言えます。

 


言うなれば、東京や大阪の夏にエアコンをつけずに部屋で過ごしている感じで、蒸し風呂のようです。

 


なので通気性を少しでもよくするため、日中はドアを開けっ放しにしています。(夜も暑いので開放したいですが、虫や爬虫類や小動物が余計に入ってくる可能性があるのでNG)

 


一応、プライバシー確保のためのドア用カーテンはあります。(近隣のカメ人の家でもドアカーテンを設置している家はちょこちょこあります。)

 

 

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↑日中はこんな状態。

 

 

 

そんな状態なので、ドアが開いていると主に子供が勝手に入ってきます。

 


自分の名前を呼びながら部屋に突撃してきます。

 


しかも子供はたくさん。

 


思うに、子供達が自分の部屋に寄ってくるのはいくつか理由があります。

 


1、見慣れない白人(彼らからしたら黄色人種も白人という認識)とその部屋にあるユニークな物に興味があるということ。(大概の子はまずこれ)

 


2、何かいいものを手に入るんじゃないかという期待。(大概の子はまずこれ。物を物色しては「ちょうだい」と要求してくる。)

 


3、シンプルに自分とコミュニケーションがとりたい。(自分に慣れてきた子限定)

 


4、親の目の届かない(怒られない)場所で好きに遊びたい。(子供たちは基本的に親の監視の行き届く範囲で遊ぶので、悪いことをするとすぐ親に怒られます)

 


5、子供にとって、遊び(話し)相手になってくれる大人はあまり多くないから。(個人的な印象ですが、子供が多いためか基本的に子供は子供達同士で遊んでおり、大人が子供に相対して遊んでいる光景をほぼ見ません。大人たちが会話している横に居て、ちょっかいかけるくらい。そしてちょっかいかけるとだいたいすぐに怒られているイメージ。)

 

 

 

自分のイメージでは大体このような感じです。

 


そして、部屋に侵入してきては騒ぎ散らかしたり、踊り散らかしたり、人の物を触り散らかしたり、食べ物をこぼし散らかしたり、乱暴に扱い物を壊しかけたりといった具合。やんちゃの権化か。

 


もちろん自分にも子供時代があったので、子供の気持ちを少しはわかっているつもりです。

 


そしてここは異国。人との接し方やマナーに関して、基本的な考え方自体も当然異なってくるので、独善的に日本的な考え方を押し付けるのは良くないし、彼らの考え方を理解する必要が大いにあると思います。

 


だが。

 


だがしかし。

 


ここは自分の部屋。

 


ここに入りたいならきちんと家主の言うことに従うべきであろうという考えの下、散らかしたら元の通り戻す。部屋は遊び場ではないので、静かに過ごす。勝手に物に触らない。などの教育もとい説教を、彼らが悪さをしたらその都度しています。

 


何度か繰り返すと、彼らは自分が蹴散らした靴を(指摘すると)ちゃんと元通り並べるようになったり、(ほんの少しは)大人しく過ごすようになったり、と自分の意図を(ほんのりは)理解してくれているようで嬉しさを感じます。

 

 

 

自分は子育ての勉強をしにきたのでしょうか?

 

ヤマアラシを食べる

 

 

世界には様々な食材、料理がありますよね。

 


海外に行くと、「こんなもの食べるんだ」とか「こんな食べ方があったんだ」と新鮮な気持ちを味わえる楽しみの一つです。

 

 

 

今回ご紹介したいのは任地バチェンガが誇る二大珍味の一つ、ヤマアラシ。(もう一つはみなさんご存知、サル肉)

 


先日食してきたため、レポートしたいと思います。

 

 

 

そもそもバチェンガにはレストランがただ一つあり、そこでヤマアラシ肉が提供されているとの事前情報でした。

 


カメルーンの小さいレストランではメニューは基本的にありません。

 


その日入荷したものを都度提供するというスタイルのため、食べられるメニューはその日の運次第。毎日おみくじを引いているようなものです。

(肉か魚という大別はあったりします)

 


また、時間によってはもう食材がなくなっちゃったなんてパターンもあります。

 


以前その噂のレストランでサル肉を食べた際は、「もう残っているのはサル肉だけだよ」という当時の自分にとって謎でしかないフレーズの前に選択肢はなく、鮮烈なサル肉デビューを果たしました。もうほんとサル肉。

 

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↑サルの前腕。言うなればサルの手羽先。


なので、例えば牛肉料理が食べたいなあと思ってもレストランが一つしかないという状況では、

果たしていつ食べられるのか、自分の運の強さがものをいう世界です。

(店員さんに聞けばいいだけの話ですが)

 

 

ところが先日、カウンターパートとバチェンガで昼食をとった際、ごく自然な流れで別のレストランに連れて行ってもらいました。ありました。バチェンガにわか丸出しの自分が恥ずかしい。

 


とはいえ、珍味肉を出すのは例のレストランだけなんじゃないかと思ってたため、久しぶりに牛肉食べれるかなと期待。

 


お店の人にお肉食べる?と聞かれ、何の肉?と聞いたらヤマアラシとの回答が。

 


油断をしていると唐突にくる、それが珍味肉。

 


しかし、まさか任地生活開始1ヶ月以内でどちらも制覇できるとは!と思い結局注文しました。

 


マニョックとともに出てきたヤマアラシ肉は皮?の部分がソースピーマンと光の反射も相まって照り焼きした魚の皮のよう。

 

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ヤマアラシ肉。いかにも辛そうな朱色のソースがソースピーマン。横の白い物体がマニョック。それにしても良い照りが出ている。


調理方法はシンプル。肉を焼き、ソースピーマン(唐辛子入りの旨辛ソース)をかけ、主食の一つであるマニョックとともに食べるというもの。

 


そして実食。

 


味は悪くはありませんが、手放しに美味しいと言えるものではなかったです。(偉そうですがあくまで個人的な感想です)

 


自分からはあまり食べないけど食べろと言われたら全然食べるよーってくらいです。

 


食感は、牛のレバーに赤身肉の歯ごたえをまあまあ足したような感じ。まあわかりにくい。

 


同時にサル肉同様鉄分臭さを感じました。サル肉ほどではありませんでしたが。

 


トータルすると、なんというかジビエ料理って感じです。

 


ちなみに今回食べた部分は肋骨まわりのお肉でした。

 

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↑この肋骨感。わかりやすい。

 

 

なんにせよ牛肉料理はいつ食べれるんだろう?

首都上京


一昨日、昨日と首都ヤウンデに滞在していました。

 


任地バチェンガへ配属以降のヤウンデ滞在は、実質初となります。

 


本来、新任の協力隊員は任国(カメルーン)到着日から起算して3ヶ月間の移動自粛期間というものがあります。

 


これはざっくり説明すると「まず最初は任地に慣れよう」という意図の下、任地配属後の移動は(業務上の用事以外は)自粛しましょうというもの。(とはいえ任国到着から約1ヶ月は首都で語学研修等行うため、実質的な拘束期間は2ヶ月間。)

 


任地配属以降、一度上京しましたが、それは帰国される先輩隊員たちが活動結果を報告する「最終報告会」というものが首都であり、業務扱いに含まれたため。

 


今回はそれを除き初の上京となりました。

 

 

 

もちろん自粛期間内なので上京のためにはきちんとした理由が必要です。

 


今回の上京の理由は任地に一切のATMがないため。

 


隊員は任国到着後、首都での研修期間中に現地の銀行口座を開設するのですが、そこに日々の生活費となる手当が振り込まれることになります。

 


すなわちATMが任地にない場合、当然お金を下ろすことができません。

 


以前の記事に書いたように、どういうわけか重度の金欠に陥り、一昨日首都にたどり着いた際には残金1000FCA(約200円)というカツカツ状態だったため、生活手当が振り込まれたとの連絡を受けてから程なくして調整員の方の了解を得、首都へ上がる手筈を整えました。

 

 

 

最終報告会時の上京は任地配属からあまり日が経っていないタイミングだったため、首都に戻ってきても然程懐かしさを感じませんでした。

 


しかし今や任地生活開始から1ヶ月が経とうというところ。

 


最近では水道がないことや、青空トイレで用を足したり風呂を浴びることにも違和感を感じなくなってきました。

 


慣れというのは恐ろしい。

 


カメルーン到着当初は日本の生活の快適さと比べてしまった首都での生活も、任地生活を経ると嘸かし素晴らしく感じるんだろうなあ、何が一番嬉しいかなあとぼんやり考えながらバスに揺られること1時間。

 


ドミトリーに到着し、一番に感動したのはトイレに入って便座に座っている自分を確認した瞬間。

 


青空トイレもとい穴トイレでのブランクを感じさせない便座へのスムーズな着席からの一連の動作。全てがストレスフリーの中で粛々と完了しました。

 


ヤウンデ到着までは、ドミトリーで温水の出るシャワーを浴びれることを一番嬉しく感じるかなと思っていましたが、意外とそこまでの感動はなく淡々と温水シャワーを浴びている自分がいました。

 

 

 

そして任地では買えない物資をリュック2つにパンパン詰めて任地に帰るバスに乗っている最中、ふとドミに鍵を忘れた可能性に気づきドミにいた同期隊員に連絡すると、キーホルダーも何もついていない少し曲がった鍵が発見されたとの報告。

 


ほぼ任地に到着していたため、念の為家に戻り大家に「鍵忘れちゃったんだけどなんとかできない?」「鍵ないなら開かないよねぇ🤔」「だよねェ🌝」などとわかりきった不毛なやりとりをした後、調整員の方に連絡し再度了承を得、パンパンの2つのリュックとともにヤウンデにトンボ帰りすることに。

 


任地から再び出発する時点で既に薄暮だったため、その日はヤウンデのドミに宿泊し、本日改めて任地に帰ってきました。

(治安・防犯上の観点と、交通安全上の理由から夜間の移動は禁止となっています。特に交通面に関しては、街灯が非常に少なく真っ暗な上ガタガタの道や交通マナーの悪さなど本当に危険だと思います。)

 


今この記事を打っていてふと横を見ると、明日の目覚まし時計担当であろう鈴虫選手が入場してきました。

 


任地に戻ってきたなあと感じる瞬間です。これが風情ってものでしょうか。

 

 

 

なお、鈴虫選手は部屋が真っ暗になった時点から爆音でアラームを開始してくれるので目覚まし時計には向きません。そのくせ何度も鳴き続けるスヌーズ機能付きです。