てやんでえカメルーン〜青年海外協力隊の滞在記〜

青年海外協力隊2018年度3次隊。カメルーン派遣。コミュニティ開発。Les rapports du Cameroun.

長靴騒動〜そして説教へ〜

 

 

◾︎失われた静寂 -comme d’habitude-

 

 

日が高く麗らかな陽気の中、例によって通気のためドアを開けながら家(というか部屋)でパソコン作業をしていると、これまた例によって我が部屋にドタドタと侵入してきた3人の子供たち。

 


彼らは両手に長靴を携え、堅い意思を秘めた様子でこちらを見据えている。

 


そして「長靴と一緒に写真撮って!」の一言を皮切りに部屋で騒ぎ暴れ回る彼らの出現により、10秒前までの静寂は既に遠い過去の幻となりました。

 


その落差たるや、まるでお寺で瞑想していたのに次の瞬間にはフランス革命真っ只中の現場に転送されてたって感じです。意味わからないですね。

 


そんな革命騒動を治めるためにも、ご要望通り撮影することに。

 


さながら燃える火に対処するため現場に消火器を持っていくかのような気分でカメラをスタンバイ。

 

 

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↑なぜ長靴?なんて質問は野暮というものです。

 

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↑3人の子供たちに遅れること少し、テクテクと部屋までやってきた一番末っ子のミシュー。「ちょっと、私もいるんですけどォ」と言わんばかりの表情。

 

 

◾︎騒動鎮圧と説教 -Je suis fatigué-

 

 

撮影していると子供達はテンションが上がり、騒動は激化。

 

 

そして、土足厳禁とわかっているにも関わらずゴザの上で長靴をバンバン叩き出したため、自分の熱い説教を食らうことに。騒動は無事鎮圧されました。

 


自分が怒っていると分かり、ゴザバンバンの主犯以外の子供はそそくさと退散。ここらへんの立ち居振る舞いはみんな非常にうまい。

 

 

 

自分に捕まったゴザバンバンの主犯には、なぜ怒られているのかをきちんと理解しているか確認したかったため、なぜやっちゃダメなのか?わかっているのになぜやったのか?を主犯に質問して、答えてもらおうという形式をとりました。

 


ところが主犯は全然喋らない。こちらが話しかけても下を向いて、時間がただ過ぎるのを待っているだけのように見受けられました。(子供が話し易いように、高圧的にならないよう話し方には注意したつもりです。)

 


30分ほど経過しても一向に喋ろうとしないため、「自分の言ってることを理解できた?もうやらない?」という、YES/NOで答えられる質問に切り替えました。

 


それでも一向に喋ろうとせず、結局トータルで1時間ほど経過したのち、わかったとの答えを得ました。

 


その後、ゴザバンバンマンは疲れたのかそのまま部屋で爆睡。

 

 

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↑この子は別の子ですが、だいたいこんな感じ。もう机と椅子以外に自分のスペースはありません。

 

 

このようなシチュエーションは以前も何回かありました。

 


その内の1回では別の子供が自分のキッチンで例によって遊び散らかしたため、説教しました。

 

 

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↑こんな状況。注意を何度もしているにも関わらず、騒いだり物を散らかしたりしたので説教の刑に処しました。

 


その時も子供に対し「なぜやっちゃダメなのか?なぜダメと分かってるのにやったのか?」の理由を述べてもらうように話をしましたが、やはり30分ほどうつむいたまま何も喋らないという時間が続きました。(結局この時も「もうやらない?」と質問したことで初めて返事を得ました。)

 

 

◾︎適切な教育とは?

 

 

このような結果が得られたことについて、自分の戒め方に問題があったのではないかと見直しをすることも勿論必要だと思います。

 


しかし、個人的にはある理由が要因の一つなのかなとなんとなーく考えています。(ここからは主観が特に多く入ります。)

 


それは大人の子供に対する怒り方。すなわち体罰です。

 


カメルーン着任後、カメルーン人のお宅でのホームステイや今の任地での生活などで、大人が子供に対して叱っている様子を目にする機会が多くあります。

 


そのほとんどが、大人が怒声とともに思い切り子供の体を叩いているという光景です。そして大人の気分が落ち着いたら怒声も叩くのも終了、といった具合。

 


その間、子供たちの中には本気で泣く子もいますが、泣き叫んでいるようで実はただ叫んでいるだけで叩かれ終わったらケロッとしている、という子もまあまあ見ます。(怒られ慣れている?)

 

 

 

 

体罰の是非については置いておきますが、このような光景を見てきて個人的に思うのは、体罰という風習によって子供達には「怒られても叩かれさえしたらそれで終わり」という考え方が染み付いてしまい、怒られている理由を正面切って考える機会が少ないのではないかな?ということです。

 

 

上記のエピソードの場合で言うと、最初自分が話をしている時、子供はそっぽを向いて自分の話を聞き流し、拘束が解かれるのをただ待っているだけの様子だったので、よそ見をせずに話をしてる相手の顔を見るように言いました。

同時に、子供が何も言わなかったのは、意見を言うと更に体罰を受ける経験から何も言わないのが吉と判断してるからなのかな?とも思いました。

 


子供達には自分の頭で考えるように習慣付けてほしいなと思うので、余計なお世話かもしれませんが、悪さをしたら都度説教を継続していきたいと思います。

 

 

 

ちなみにどういうわけか説教を受けた子供たちは、説教を受ける前よりも懐いてきた気がします。(多分ゴマすりではないと思います)

 


説教されたからといって敵意を向けてくるわけではなく、変にご機嫌取りをしてくるわけでもなく、自ら駆け寄ってきたりしてくるので(多分ゴマすりではないと思います)、こちらの意図を汲み取ってもらえたのかなと少し安心しました。

 

 

 

子育てをする人の気持ちがほんの少しわかってきたような気がします。カメルーンで。